
朝マック

最近になって、父の表情が断片的に浮かぶように。だいたい食べ物がきっかけです。
そして今朝も。
久し振りに朝マックを。
実家は徒歩圏にはミニコープと郵便局しかないというド田舎。朝マックはいわば、両親、特に父のあこがれのようなものでした。ですので、私の狭苦しいうちに数回泊まりに来たとき、私が寝ているうちに母と起きて散歩→朝マックというのをものすごく楽しみにしていたようです。うちに戻ってきて嬉しそうにしていた様子が突発的に今朝、思い出されました。その後ずっとずっとずっと私のうちに泊まりに来たいって本当にしつこいくらい言っていたんですよね。でも、退職後職場の荷物を引き揚げてくるとうちの狭苦しい部屋は足の踏み場が・・・何年経ってもほぼ変わらず・・・で、とてもじゃないけれども布団を余計に敷く場所がない、という何とも情けない理由でもう何年もうちには来ていませんでした。正直、実家は経済的には本当に苦しくて(今はもっと大変)、旅行の代わりにホテル代が不要なうちに来ていた、来たがっていたという側面もあるんですよね。ずっとド田舎にこもっているのではなく、たまには「旅行」を、ということは重々分かっていたのですが。
他にはスタバ。先日写真をアップしましたが、そのときです。今の住まいを決めて東京から内覧をしに来たとき、両親も合流しました。不動産会社との待ち合わせ前にスタバに行ったのです。結局、このときのスタバは父にとって最初で最後のスタバとなりました。そもそも「カフェ」なるところなんて行きませんから、その雰囲気や高い珈琲に少し戸惑った表情をしていました。きっと居心地悪かったんでしょうねぇ。高い珈琲の味なんて覚えてないでしょうねぇ。うちに来てもスタバなんて行きたいとも言ってませんでしたし、他で誘ってみても「高いからいらん」の一言でしたしね。
本当に食べることが大好きでした。いやしい、いじましいほどに。でも、入院してからはそもそも呼吸が苦しくて体を起こしていられないために食べられない。「食べたいのに食べられない。情けない」としょっちゅう言っていました。そしてさらに、誤嚥を起こして口にする一切のものにとろみを付けないといけなくなってからは、急激に口に入れるものの量が減りました。「とろみ付けなあかんねやったらいらん」と。一応、とろみを付けても味は変わらない、と箱には書いているのですが、やはり違うんでしょうね。こちらも本当につらかったです。
実感がない、実感がない、と以前に書きました。それは今でもそうなんです。自分でもおかしい、無意識レベルでの現実逃避じゃないか、とも思うのですが、ほんとそうなんです。おかしいんですが。離れて暮らしていた期間が長いからでしょうね。でも、思い出せなかった入院中以外の父の顔が思い出されるようになった今、ものすごく苦しいです。実感はないくせに苦しい。ここでも矛盾しまくりですね。でも事実だからしかたがない。スタバでもマクドでも涙が流れっぱなし。悲しい涙ではありません。悔しいという思い、ずっと父に冷たくしていた自分に対する怒り。ただただ止まらない。ちゃんと部屋を綺麗にして泊まりに来てもらえるようにすればよかった。ずっと「無理」「無理」と言い続けていました。何年くらい拒否していただろう・・・物理的に無理だったのは本当のことなんですが。
北新地のランチにも結局連れて行くことができなかった。これもずっと何年も何年も私が連れていくと言い続けていたのですが、両親ともに北新地(梅田)と実家の往復の交通費のレベルで難色を示していました。私が全部出すと言っても断られ・・・
これからもまたどんどんと色々なことが思い出されるんでしょうね。
でも。。。。。ほんとしつこいとは分かっているのですが、実感がない。
よろしければポチッとお願いします♪
そして今朝も。

実家は徒歩圏にはミニコープと郵便局しかないというド田舎。朝マックはいわば、両親、特に父のあこがれのようなものでした。ですので、私の狭苦しいうちに数回泊まりに来たとき、私が寝ているうちに母と起きて散歩→朝マックというのをものすごく楽しみにしていたようです。うちに戻ってきて嬉しそうにしていた様子が突発的に今朝、思い出されました。その後ずっとずっとずっと私のうちに泊まりに来たいって本当にしつこいくらい言っていたんですよね。でも、退職後職場の荷物を引き揚げてくるとうちの狭苦しい部屋は足の踏み場が・・・何年経ってもほぼ変わらず・・・で、とてもじゃないけれども布団を余計に敷く場所がない、という何とも情けない理由でもう何年もうちには来ていませんでした。正直、実家は経済的には本当に苦しくて(今はもっと大変)、旅行の代わりにホテル代が不要なうちに来ていた、来たがっていたという側面もあるんですよね。ずっとド田舎にこもっているのではなく、たまには「旅行」を、ということは重々分かっていたのですが。
他にはスタバ。先日写真をアップしましたが、そのときです。今の住まいを決めて東京から内覧をしに来たとき、両親も合流しました。不動産会社との待ち合わせ前にスタバに行ったのです。結局、このときのスタバは父にとって最初で最後のスタバとなりました。そもそも「カフェ」なるところなんて行きませんから、その雰囲気や高い珈琲に少し戸惑った表情をしていました。きっと居心地悪かったんでしょうねぇ。高い珈琲の味なんて覚えてないでしょうねぇ。うちに来てもスタバなんて行きたいとも言ってませんでしたし、他で誘ってみても「高いからいらん」の一言でしたしね。
本当に食べることが大好きでした。いやしい、いじましいほどに。でも、入院してからはそもそも呼吸が苦しくて体を起こしていられないために食べられない。「食べたいのに食べられない。情けない」としょっちゅう言っていました。そしてさらに、誤嚥を起こして口にする一切のものにとろみを付けないといけなくなってからは、急激に口に入れるものの量が減りました。「とろみ付けなあかんねやったらいらん」と。一応、とろみを付けても味は変わらない、と箱には書いているのですが、やはり違うんでしょうね。こちらも本当につらかったです。
実感がない、実感がない、と以前に書きました。それは今でもそうなんです。自分でもおかしい、無意識レベルでの現実逃避じゃないか、とも思うのですが、ほんとそうなんです。おかしいんですが。離れて暮らしていた期間が長いからでしょうね。でも、思い出せなかった入院中以外の父の顔が思い出されるようになった今、ものすごく苦しいです。実感はないくせに苦しい。ここでも矛盾しまくりですね。でも事実だからしかたがない。スタバでもマクドでも涙が流れっぱなし。悲しい涙ではありません。悔しいという思い、ずっと父に冷たくしていた自分に対する怒り。ただただ止まらない。ちゃんと部屋を綺麗にして泊まりに来てもらえるようにすればよかった。ずっと「無理」「無理」と言い続けていました。何年くらい拒否していただろう・・・物理的に無理だったのは本当のことなんですが。
北新地のランチにも結局連れて行くことができなかった。これもずっと何年も何年も私が連れていくと言い続けていたのですが、両親ともに北新地(梅田)と実家の往復の交通費のレベルで難色を示していました。私が全部出すと言っても断られ・・・
これからもまたどんどんと色々なことが思い出されるんでしょうね。
でも。。。。。ほんとしつこいとは分かっているのですが、実感がない。
よろしければポチッとお願いします♪

スポンサーサイト